某スタジオの公開生放送の観覧にお邪魔させて頂きました。
世界の聖地を経て現在は日本の伊勢神宮を撮り続けている
カメラマンの方がゲストに招かれていて
大変意義深いお話を拝聴させて戴きました。
神官様のまわりの地面や空、稲穂、夜の闇を大胆に取り入れた
そのアングル。
写真に写された風景はそのまま、カメラマンのかたの自然観であり
生命観なのではないだろうかと感じさせるものがありました。
自然の中で自然と調和しながら生きてゆくという「自然観」を受け継ぐ
我々日本人。
あくまで私個人の受ける印象ですが日本の精神とスペシフィックの
哲学は似ていると感じます。
調和という言葉に集約される点において。
人間の身体もそれぞれの器官が全身の中で与えられた任務を全うしてこそ
「何事も起きていないかのように」生活してゆく事が出来ています。
任務は「機能」と言い換えることも出来るでしょう。
例え不調和、不和に陥ったとしても、「それ以上悪化しないように」
淘汰の方向に陥らないように、総動員で働いています。
外部から意図的に与えられるどんな知識や知恵、刺激よりも自身を
知り尽くしています、生命の調和は。
そして 本来の自分を取り戻そうしています。
全体の中の個、全身の中の各器官。
どちらも種類や質に関しては同じもの。 違うのはその規模の差。
表面に顕れた結果に心を奪われることなく、
その原因にこそ集中すべきです。
全生命が生まれ持っている力(任務、使命、機能)を
妨げているものは何か。
原因が修正され、生命の力によって調和がもたらされてこそ
結果が変化、緩和し、本来の自分が取り戻せると思うのです。
それが本質的な解決であると今夏 特に感じます。
「真実は重すぎて担ぐ人がいない」 ユダヤ格言

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