芸術はすべての人間が生まれながらもっている情熱であり、欲求であって
ただそれが幾重にも、厚く目かくしされているだけなのです。
力になることができるのは、それをはずすこと、そのキッカケ 方法を
いっしょに考えることなのです。
はずしたあとは、それぞれの実力で、自由に芸術を判断すればよい。
きっと、「芸術がわからない」などといいうのが、どんなに
バカげたことだったか、すぐに気がつかれるでしょう。
そして、芸術こそ他人ごとでなく、自分自身の問題であり生活自体だと
いうことがわかってきます。
「近ごろの絵は、なんだか、わけがわからない」とか
「私のガラじゃない」などと言っていた、会社員から学校の先生、
郵便屋さんから八百屋の小僧さんにいたるまで
じつはほんとうは芸術家なのだということを、自分たち自身で
りっぱに発見し わからないと思っていた芸術が、
なんだこんなものだったのか、と大根の尻っぽかなにかをながめる程度に
はっきりつかめてくるにちがいありません。
だれでも、その本性では芸術家であり、天才なのです。
ただ、こびりついた垢におおわれて、本来のおのれ自身の姿を
見失っているだけなのです。いずれにしても、現在を不毛にし、
生活を味気ないものにしている余計な夾雑物(きょうざつぶつ)を
切りすてることこそ急務です。
これは、いちおう、だれにでもわかっていただける理屈ですが、
さて何が垢でありまた、具体的に、どうすればその不純物を
とりのぞくことができるか、これが問題です。
岡本太郎氏著「今日の芸術」より
スペシフィックは哲学・科学・芸術 が同時進行するものである
と言われます。
芸術については今までじつは自分なりの解釈はあったりしても
そのほかでは納得できる解釈に出会ってきませんでした。
岡本太郎さんは他の分野の方ですが、いまのところこれが一番
しっくりきてます、私には。
黄色いなにかが勝手に咲いています。 たぶん薔薇です。


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