スペシフィックとそのことと。


結果には必ず原因があります、というお話を

いつもさせて戴いております。

風邪を惹いたら「あ~、あれがマズかったかな~」と

振り返ってその原因を探ってみたりします。

子供同士のけんかでも親や学校の先生が止めに入ったりしたとき

「どうしたの!いったい何が原因なの!?」と

怒られながらも問い質されたりします。

3人兄弟(全員男)の真ん中の私もよくけんかをしました。

今思い出すと必ず私が絡んでいるのです、恥ずかしながら。

私と弟か、私と兄。兄弟げんかのパターンは必ずこのどちらか。

突き詰めればほぼ私のわがままが原因だったような気もします。

このように兄弟間で起きることから他人との間で起こること、

また個人の中で起こること 

このどれにも例外なく原因があります。

「根本的な解決」にはその原因の解明まで

掘り下げることが必要です。

でなければ同じ事を何度も繰り返す、そしてなかなか事態が収拾

できないなんてことになるのは火を見るより明らか。

ただ、この原因という概念。

とっても気付きにくいもの。

また、気付きたくない、あえて自ら目を背けていることもあれば、

反対に 人為的に人の意識を外に、外に向けさせるように

されていることもあります。

人々が最も大切なことを考えないように、気付かないように。

ただ、何を受け入れるか否かを最終的に判断されるのは自分です。


128日。

日本のみならず世界に当時出来あがっていた

多分野にわたる秩序を、その方向を変えようとした日です。

勿論「医療」も例外ではありません。


「原因」を考える日としてはこのうえ無いでしょう。





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