仮説


かつて日本には「切腹」という法制度がありました。

せっぷく、と読みます。「SEPPUKU」。

正座して短刀で己の腹を切り開くというもの。

併せて介錯という仕事をする介錯人(かいしゃくにん)

という存在がいます。

切腹する者のそばに立ち、首を一刀のもとに切り落とす役。

そしてすべてを見届ける検視役がおり

これらは荘厳な儀式として行われたそうです。

この儀式に対していま個人の主観を置いて

解剖的な見方をするとき

もしやかつての日本人は腹と首に


特別な意味を見出していたのだろうかとふと思う事があります。

人間の身体で「造血」の働きをするのが「腸」だとしたら

その腸を刀で掻っ捌くことは

まさに血液が今後造れなくなる、ということ。

つまり自身による生への断絶の意思表示を意味します。

そして「首」。

介錯人が切腹者の「首」を切り落とします。

これは頭と体、すなわち「脳と身体を切り離す」ことがその役目。

この事実は実は「首」こそが生命維持を瞬時に左右する最後の要所

であるという認識であったのではないだろうかということです。

中世に始まったとされるこの儀式にこのような解剖的認識

があったかは定かではありません。

ただ人間は「実は最も大切なこと」を感覚的に分かっている

のかもしれません。 遺伝子の記憶の中に。

1214日 時代や世相は変わりましたが今日も泉岳寺には

多くの花が手向けられていることと思います。

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