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人間は二足歩行をはじめたとき腰痛を宿命づけられた・・・
のでしょうか。

腰痛とヘルニアが同義かは別としても
「犬」もヘルニアになりますよね。
彼らは四足歩行です。

「じゃぁトシのせいかなぁ・・」

私、10代(高校生)のときしばらくの間 腰痛持ちでした。
おしりというか腰というかそのあたり。
これがいつ消えたのかはもう覚えていません。

スポーツをはじめてからしばらくしてまた
腰痛を抱えるようになったのですが
今度は痛みの場所も種類も以前とは異なるものでした。
おまけに数年間 手の指先にしびれもありました。
でも今はなんともありません。

「トシのせい」なら今も治っていないか
もっとひどくなっているはずです。
人間は日々歳をとっていくのですから。

これは、身体というものは年齢のせいばかりで片づけられる
ものではないということではないでしょう。

「季節の変わりめだから・・」という言葉も同様で
その言い回しに当てはまらない方もたくさんいらっしゃいます。
自然な老化というものはもちろんあると思いますし
急な寒暖の変化はたしかに身体に急な変化を求める事はありますが。
 
これらの「二足歩行・・」や「トシのせい・・」
よく聞かれる会話ですがスペシフィックを実践していると
それらの言葉は一体なんだったのだ、と思わせるばかりの
回復力や修復力、エネルギーといった
人間が生来もつその力をまざまざと見せつけられることがあります。

そしてそれらの力といわゆる「常識」との乖離(かいり)に
驚かされることがしばしばあります。

ではその「常識」というものはどうやって出来あがったのでしょうか。

みんなが言うから。
テレビでそう言っていた や 本にそう書いてあったし
実際「そう思う」し、お医者様にもそう言われたし・・・。

恐らくこのような意見が多数でしょうか。
これら常識を構成する要素の中で私が個人的に一番大切?
だと思うのは「」をつけた “そう思う“ です。

それはもしかしたら「身体の声」ではないかもしれないからです。
?身体の声でないのなら、では何なのでしょうか?
それは「周りの声に教育された脳」の声ではありませんか?
身体と脳は首でつながっていますが、身体は本人の意思や考え
欲求や予想とは「あべこべなこと」をしてくれることが
しょっちゅうあります。

「身体にいいと“思って”通っている○○なんだけれどなんだか
体調がおかしいなぁ」とか
「こんなときに限って・・・」の生理現象、
よくあるお話です。
反対に「○○するのは骨盤がゆがむからしないように
気を付けている・・・のだけれど
気がつくとしているんですよね(笑)。」
というお話は皆さまからよくオフィスで聞きます。

身体は生きている間ずっとその生命を維持、活動、回復させようと
しています。
なのに 頭が周りの言葉や情報だけで判断して勝手に
「そう思う」んです。 

気がつけば肝心のじぶんの身体の声を聞いてあげていません。

人の口に戸は立てられませんから周りの人は様々な事を
言います。テレビも本もインターネットも。

何を食べるかを決めるのが自分であるのと同じように
情報の取捨選択、さいごは自分でするもの。

脳、潜在意識がそういった「周りの声」に
染まってしまう前に、外の声ばかりを拾うヘッドセットを外し
心に門番を立てましょう。
そして目や耳や心を今よりもう少し
自分に向けてみてはいかがでしょう。


きっと変わります。

「私の学習を妨げた唯一のものは私の受けた教育である。」
A Einstein                     

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