徒然にイネイト


内なる叡智はあらゆることに反応をしています。

食べたものに対しても口に入れれば噛んで 

唾液を出して 飲み込む。

噛む回数だとか 唾液の量だとか 

いつ飲み込むといったことは

ほとんどの場合無意識下でおこなわれています。

つまり身体は全自動なのです。

この法則は何事においても当てはまります。

匂い 香りにも反応するし 毒素にも反応する。

言葉にも反応するし気温や雰囲気といったものにも反応する。

鍛錬 トレーニングといった行為にもしっかり応えてくれる。

もちろん食べ過ぎ、飲みすぎ 

怒りすぎ 喜びすぎといった起伏にも

体表現として反応してくれます。 

アジャストメントはいわばこの法則に着眼しています。

つまり身体が根本的な反応(変化)を起こす

特別なところ「THIS  SPECIFIC  AREA」(特別な領域)に

最小限の刺激をすることでその反応を誘い出しているのです。

(裏を返せばこの特別な領域に異変が起こると

この全自動のシステムに狂いが生じてくるのです)

つまりアジャストメントは刺激をする側が何かを物理的に

「動かしている」のではなく

生体がその刺激を「待っていました」とばかりに活用して

誘発的、自発的に「動いている」のです。

さきほどの刺激と反応の法則です。

B.J.Palmerも アジャストメントは

「餌(えさ)をまくようなイメージだ」と

著書グリーンブックに書いています。

餌とはややドライな表現ですが(笑)要はその餌(刺激)を

相手のイネイトインテリジェンスが

有効に活用して動いている(反応)のだ

という事を言いたいのだと思います。

スペシフィックを実践されている諸先生方が

「矯正」という言葉を使わないのは

そういう意味も大きいのでしょう。

分かりやすい例えですが死体にアジャストメントしても

何も動かないそうです。

外科手術はメスで体を切り開いても縫合した後

皮膚がしっかりくっつく大前提があるから手術できるのです。

スーパーマーケットで買ってきたお肉を縫合しても

くっつきません。それと同じです。

因みに幸か不幸か私はまだ死体に

アジャストメントさせて戴いた事はありませんが。

話を戻しますが生体へのアジャストメント後の反応が

「矯正」の結果であるなら相手が死体でも

思うように動かせるはずですが残念ながら結果は

そうではないということです。

死体と生体のあいだにある違いこそ

ここでお話ししているものの正体です。

「矯正」という言葉にはどこか

「施術者」とそれを「受ける側」という

二元論的な印象がつきまといます。

「矯正」の名人あるいは名医といわれる方々が

巷では「ゴッドハンド」と称されているのを

私もたまにネット等で見かけますし

そういった声も聞きます。

おそらくGODは欧米の唯一神のGOD

イメージされているものと想像できますし

施術者がそのGODのようだという

畏敬の念を込めたニュアンスなのだと思います。

ただスペシフィックにはその発想はありません。

スペシフィックは施術者と受ける側の間に

イネイトインテリジェンスという明確な概念があります。

つまり三元論的に捉えているのです。

両者のイネイトインテリジェンス間の刺激と反応なのです。

・・・が、僭越ながら私もご依頼人の方や

スペシフィックの話をしただけの方に

「ゴッドハンドですね」と仰って頂けることがあります。


ごくごくたまに・・。


そのお気持ちは大変嬉しいですし少々鼻が膨らみます。

ただ私自身勘違いして木に登ってしまわないように

「神がいるとしたら皆様の中なのですよ」と伝えるように

しています。

これを伝えることこそ私たちの仕事なのですから。

そして「でも私の中にも神はいるのですよ・・」と

心の中で呟いています。

ただこの場合の神は日本の八百万のカミのほうなのですが。


さて今回もスペシフィックの世界観を私の思うままに

お伝えさせて頂きました。

巷のいわゆる神学論争も、あるいはそう比喩されることも

スペシフィックという実践を通じ

八百万のカミをお伝えできたら

少し? いや根本的に

変化を起こすのではないかとひとりほくそ笑んでいるのでした。


来週 123日(火) 25日(木)はお休みを頂戴いたします。

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